二人転

時間: 2019-01-10 16:54 情報源:
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  「二人転」は俗称「ボンボン」と呼ばれる東北漫才であり、東北地区の独特な民間戯曲芸術形式で本場の「関東情、関東風」によって人々に深く愛されている。

  二人転は清末民初に形成された。その来歴は通常言われていることに従えば東北田植え踊りと民間の歌と河北蓮花落などが結合して変化したものである。その形式には一人で演出する「単出頭」、二人で演出する「玩芸児」( すなわち二人転)と二人以上で演出する「拉場劇」の3種がある。そのうち「双玩芸児」を主としている。

  関東地区の住民は主に満族、モンゴル族などの少数民族と山東、河北などから関東にきた漢人である。彼らの総合的性格は豪放朴実と称され、厳しく寒い候と勤勉な労働の中で強く生き抜いてきた。民間風俗文化でも、豪放でユーモラスな「地元の芸風」が非常に好まれる。二人転の「歌ったり、踊ったり」の演出形式はまさにこの需要に適合した風味がある。

  二人転の曲目はおもに戯曲小説、講談と民間伝説と社会のニュースから取られたもので、大部分が関東百姓の好きな古代の英雄、男女の愛情や忠孝節義のストーリである。

  二人転の俳優は民間で「唱唱的」あるいは“唱手”と呼ばれ、その土地で生まれ育った貧しい農民の出身であり、多数は農繁期に耕作し農閑期に劇団を形成して演出する。「半農半芸」が生活の肥沃な土地に根をおろしている。

  二人転が無数の関東人を夢中にして、「三度の飯を食わずとも、二人転は捨てられない」というほどに魅力があるのは、地元風味と機敏性のほかに、芸術上の独特の魅力にもよる。演出技巧においては「語り」は「説口」と俗称し、通俗ながらも趣があり、流暢ながらも自然である。「歌唱」はリズムと調子があり、韻律は優美で、変化に富んでおり、俗に言う「九腔十八調,七十二声」がある。「動き」は動作と表情が真実で自然で、「演じるものを学び、学ぶものは真実に似せる」ことを重視し、人物を生き生きと演出する。「踊り」は田植え踊りなどの民間舞踊を参考とし「跳ぶ、走る、ひっくりかえる、捻る、交錯、扇ぐ、震える」など各種の身体技法や歩き方があり、さらに蝋燭、ハンカチ、扇子などを操り、板を打つなどの特別な技能により、この話しつつ歌い、歌いながら踊る民間戯曲形式に強烈な芸術的感染力を与え、民衆の心の中に深々と根をおろしている。

  【吉劇】吉劇は東北人民に愛されている「二人転」を基礎に発展して形成されたものである。1959年から現在まで、吉劇は創作改編とリハーサル併せて200近くの大、中、小劇目を演出した。その中でも代表作は《包公賠情》、《青売線》、《桃李梅》である。

  役柄には、生(男性役)、旦(女性役)、浄(花臉)、末(男脇役)、丑(道化役)などがある。音楽の調子において吉劇は二人転の主要曲牌〔文咳咳〕、〔武咳咳〕、〔紅柳子〕、〔三節板〕、〔哭糜子〕、〔窮生調〕などを基本調子とする。

  吉劇の伴奏楽器は二人転の胡琴、チャルメラを主とし、東北笛を基礎とした叙情豊かな喉笛を創造し、古筝を吉劇の楽団に取り入れた。

  吉劇の演出技巧は二人転の五技、即ち歌唱、扮装、舞踏、口舌、絶(ハンカチ、扇子などの技芸)を基礎として、ほかの劇種の長所を吸収し次第に形成してきた。ハンカチ技は吉劇の特長である。

  【東北田植え踊り(ヤンガー踊り)】ヤンガー踊りは「東北田植え踊り」また「扭大秧歌」と称し、北方諸民族で盛んに流行してきた娯楽舞踏形式である。元々は稲作労働を真似した一種の原始舞踊であり、その後農閑期あるいは新年祝日期間の扮装舞踏となった。北方田植え踊りには二種類あり、一つは木製の竹馬にのった演出で「高舞踏」と呼ぶ;もう一つは平地で踊りを演出し「地舞踏」と呼ぶ。

  東北田植え踊りは老若男女を分け隔てせず、みんな派手な服を着、扇子を振って、銅鑼、太鼓、チャルメラの伴奏下で、街路上や路地あるいは広場で踊る。その場面は壮大で、熱烈な雰囲気で、派手にひらひらと舞い、観客を魅了する。あるときは観客に感染して、いてもたってもいられずに、ついに隊列に参加し踊りはじめる観客もいて、非常に面白い。

  いくつかのヤンガー隊の中には美しい娘が漢船に乗った扮装をし、若い男性が年老いた男性の車を押す模様を装い、子供が大きい頭の被り物をかぶり、年老いた男性が玄奘三蔵、猪八戒などの古代人物を扮装し、驢馬や桃花かごを逆様に乗る扮装など、生き生きと活動的で面白い。

  近年来、いくつかの町では、ヤンガー踊りが人民の身体を鍛錬する一種のよい形式となっている。毎朝あるいは夕方になると、人々は公園、広場、川沿い、河畔などの公共場所に集まり、自ずからヤンガー踊りをする。人々は思い思いに踊りに熱中し、仕事の疲れと人生の悩みを忘れ、身体を鍛えるばかりだけでなく、生活に無限の趣も添えている。

  【黄竜劇】黄竜劇は吉林地方の劇の一種で、農安県で創作された地方劇曲の新劇種であり、農安がかつて遼代の有名な黄竜府だったためその名を得た。黄竜劇が生まれたばかりの時期には小生(男性役)、小丑(道化役)、小旦(女性役)の三役割があるだけであった。後に実践の中で刀馬旦(女将軍役)、老生(老男性役)と老旦(老女性役)を充実した。音楽は生、旦、丑の役割に分かれて歌い、演出及び化粧、服装などは基本的に京劇の方法に沿う。

  黄竜劇は1959年に生まれ、東北影絵劇の音楽を基調とした。また民間音楽を吸収し形成してきた濃い地方的特色と広い民衆基礎のある新劇である。1958年12月、農安県文化主管部門が吉林省文化局の地方新劇種の創作指示精神に基づき、本地の劇曲劇種を決定し、1959年1月大型劇目《樊梨花》を編纂し演出した。翌年の9月に正式に上演し好評を受けた。新劇種が肯定され、1960年9月黄竜劇と名づけた。

  20世紀の80年代初から90年代中期まで農安県の劇団によって上演した《無事生非》、《風雨菱花》、《魂系黄竜府》、《鹰格夫人》などの大型劇目はかつて中国第二回演劇祭、全国地方劇曲合演,プラハ国際舞台美術展覧活動などにおいて合計20個の賞を受賞し、黄竜劇の名は広く遠くまで伝わった。