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ジリナ市
2015-04-24

(スロバキア)

 

 

  1992年11月23日、長春市とジリナ市は友好都市を締結した。

■自然状況

 ジリナ市は北緯49°15′、東経18°45′、首都ブラチスラヴァから隔たること200キロ、スロバキア西北部の中心都市で全国最大の都市のひとつであり、ジリナ盆地内のヴァー河畔最大の都市で、スロバキア全国八大区の一つジリナ地区の行政の中心である。

 当該市は2000年1月1日時点の人口86818人、その内98%がスロバキア族である。全市面積は80.03平方キロ、市内にある聖母マリア広場の海抜高度は333米。

 ジリナ市はジリナ盆地のヴァー河谷にあり、ヴァー河、キスツァ河、ライツァンカ河がここで合流する。盆地は第三世紀の沈殿物と第三世紀早期カルパチア山の軟沙岩により構成されている。ヴァー河とライツァンカ河の沖積により形成された広い内陸平原で、両側は大洪水により沖積した80-90米高の砂礫層が周囲を取り囲みながら遠方にまで伸びている。五つの層からなる地層のジリナ盆地はマラー・ファトラ山地、ストラゾフスカ・ブルチ山地、スーロフスケー・ブルチ山地、キスツカー・ブショビナ山地に囲まれている。

 気候:7月の平均気温は18℃、1月の平均温度は-4℃;年均降水量は650-700ミリメートル、6月から7月前半までの降水が一番多い。毎年の降雪期は60-80日である。

■歴史

 早くも前氷河時代――約紀元前20000年前には、人々がジリナに定住していた。銅器時代及びローマ統治時代にも相次いで人々がジリナに定住した。この都市に関する最初の文献記録は1208年に遡る。その時この地区の名前はテラ・デ・セリナンとしてであった。1297年“ジリナ”という名前が初めて文書の中に出現した。1321年7月12日史料記載の紹介によると、その時ジリナはすでに一つの町に発展していた。国王カーロイ一世ローベルトが1321年にこの町を訪問した時、ジリナに自由の特権を与えた。“ジリナ”にはヨーロッパの歴史上重大な意味のある法律言語公文書があり、1378年にまで遡る。1381年5月7日、ハンガリー及びポーランドの国王ラヨシュ1世がジリナを訪問した時に「ジリナスロバキア人基本公民権利法案」を公布し、市政庁の壁の記念碑はこの事件を記念するため設立されたものである。以後の数世紀、ジリナは手工業、貿易、教育の中心となった。1488年、毛皮業はすでに業界の規定を制定し始めていた。その後の数年には様々な新しい手工業、例えば裁縫工場、肉屋、鉄鍛冶屋、布地屋などが成立した。17世紀末、ジリナには16のギルド、200の手工業工場、その中には150の布地工場があった。

 文献記録がある最初のジリナ語学学校いわゆる学院は1542年に始まった。1610年中西部スロバキアで挙行した新教会議も全国的意義がある重要な事件であった。1665年ジリナで最初の印刷工場が出現した。1691年、初級ギムナジウムがジリナのイエズス会士によって建てられた。スロバキアの志願兵は1848年から1849年までスロバキア人の権利を保護するため、ハンガリー人に打ち勝ち、この輝かしい勝利はスロバキアの歴史上重要な意義があり、1999年聖母マリア広場7号棟にその事件を記念する記念碑を立てた。

 19世紀末、鉄道の建設は町の一層の発展に重要な役割をした。コシツェ=ボフミーン鉄道は1872年に竣工し、ブラチスラヴァにつながるポヴァツスカ鉄道は1883年に竣工しラジェクにつながる最初の鉄道が1898年に開通した。こうしてジリナは重要な鉄路の中枢となり、これが重要な企業の設立に最有利な条件を創造した。1903年、ジリナでハンガリー工業展覧会を挙行し、ヴァー河上流地区の発展に深い影響を与えた。1918年、12月12日から1919年3月3日まで、ジリナはスロバキア政府管理部門の所在地となり、スロバキア政府の首都となった。

 スロバキア史上でもう一つの重要な事件は1983年10月6日、七つの政党が会談を進行して、その結果スロバキアの主権の独立を宣言し、これはスロバキアが主権と独立のために奮闘した歴史的シンボルとなった。1949年から1960年まで、ジリナ地区は新しい政府によって管理されていたが、後のジリナの発展は停滞し、当時の政府は故意にジリナの重要性をおろそかにした。1960年、交通学院(現ジリナ大学校)がジリナに移され、この学院は都市の発展の中で重要な役割を発揮した。1968年の後、ジリナは復活し―工業、住宅、電信、学校、文化施設すべてが建設され発展した。1990年都市は空前の進歩を遂げた。都市の街道、広場、歴史遺跡など全面的に再建作業が着実に進行し、自己資源により生態的な電車交通システムを建設した。ジリナ大ダムが1994年に建設され、1997年に最初の水力発電機が運行を開始した。1993年、スロバキア共和国の独立に伴い、ジリナ市の影響は日増しに高まり、1996年より開始した、ジリナ市の再建工事は当該市の繁栄のための新たな挑戦となっている。

■ 経済

 ジリナ市には、いくつかの重要な企業が活躍している。その中で最も歴史が長いのは1891年のスロヴェナ紡織工場、ポヴァジエ化学工場(1892年)、テント製紙工場(1906年)、ドレイヴォインダストリア木製品場(1907年)、これらの企業は現在までジリナで重要な役割を果たしている。その他に比較的重要な企業にはZVL抗摩擦ボールベアリング工場、スロヴァニア・エレクトロヴォド食品、ジリナ・ラクティス乳製品、ペザ・パン工場、ハイザ家禽工場などがある。ジリナには重要な建築会社があり、その内でもトップ企業はヴァホスタフ建築会社で、この会社はスロバキアの決定的な幾つかの水利建設工事、ドナウ川ダムなどの建設に参加した。エネルギー会社には、ジリナ電気が1896年設立され、全都市に電力を提供し、ジリナはそのためにエネルギーの供給地となっている。全市には20近くの銀行がある。

 最も早くからこれらの企業と貿易の発展を支持してきた重要な機構である、スロベキア工商会のジリナ分会がジリナ市で各種の活動を挙行し、スロベキアーポーランド商会とスロベキア貿易商会は全国的な競争能力を具え、EU規格枠組に書かれた区域的発展の各種活動がヴァー河上流渓谷の発展を有力に推進する。

■交通

 ジリナ市は現在スロベキアで最も重要な鉄道と道路の中枢となっている。早くも古代より、ジリナの町は国際的に重要な道路に組み込まれており、ドナウ河からヴァー河を経てバルティック海にまで至り、再び陸路を経て東スロバキアに至る。ヴァー河を越えてブダティンに渡る橋は早くも1438年と1499年に言及されている。現在、ジリナには多くの欧州交通道路の十字路があり、一つはイタリアのトリエステージリナーウクライナ線、もう一つはポーランドのダンスクーベリナ線で、これは1996年ヘルシンキ交通部長会議で確認された。

 ジリナの公共交通は1949年に始まり、ジリナ市交通有限会社が管理している。近年最重要な出来事の一つに都市の自己資源だけにより建設された都市トローリーバス交通システムがあり、トローリーバス交通システムはジリナの生存環境の質を高めるために重要な貢献を果たし、現在さらに多くの路線が開拓されている。最初のトローリーバスは1994年11月にジリナ街道に出現した。現在ジリナは四本のトローリーバス路線があり、その開通距離は69.9キロに達し、さらに13本の公共自動車路線を擁し、その開通距離は290.8キロに達する。

 現在多くの国際道路交通路線がジリナを通過し、パリープラハージリナーウクライナE50 号道路、バルチック海―ジリナーベオグラードーアテネ線とE75号道路とドレスデンージリナE442道路がある。近い将来には、ジリナ付近に、さらに欧州の主要な自動車高速道路の交差点が出現する。現在ブラチスラヴァから始まるD1高速道路はジリナより40キロ離れた地点にあり、ジリナ東部60キロ地点にはさらに一本の高速道路があり、この道路からジリナへの建設工事が進行中で、二つのトンネルが建設されている。ジリナ高速道路網の数箇所の入り口が現在建設中で、これが都市の交通状況を劇的に変えると見込まれている。これによりスロベキア国内外に至る各町は全て公共自動車あるいは長距離バスにより連結される。その内最も重要なE45号とE52号の二本の国際的鉄道路線もここで交差し、最も忙しい特別快速列車はブラチスラヴァからコシツェに至る路線である。この路線では、列車がプラハ、ワルシャワ、モスクワ、ブタペストに直行している。

 ジリナ飛行場は都市西部10キロの場所にあり、不定期国際航空便の飛行場で、この飛行場は最多搭載人数60人の飛行機を受け入れ可能である。滑走路は1150米である。過去にはプラハへ定期便が就航していた。現在はウィーンへの航空便と飛行場拡張が計画中である。ヴァー河からジリナへの船舶運航運河が現在計画中で、これによりジリナは世界の大海洋と連絡できるようになる。

■教育

 ジリナで最も重要な教育機構はジリナ大学で、当該大学は7つの学院を擁し、各種学生9000人以上。1996年以前には、当該学校は運輸・交通学院と呼ばれ、交通運輸業に突出した地位を有していた。現在、当該大学は情報技術や通信技術など重要領域を教育課程に含めている。1960年以来、当該大学は30000に上る国内学生と多数の外国人学生を育成してきた。

 ジリナでもう一つ重要な教育機構は芸術学院で、この学院はジリナでは相当に大きく、多くの主席バイオリニストと音楽教師を育成してきた。これらの教師の学生は各種のコンクールでよい成績を挙げている。当該学校には合唱団、大型オーケストラとその他の音楽団体が成立している。

 語学学校。学生数と教育の質からすれば、ジリナ語言学校は同種の学校の中でもトップクラスに位置する。ジリナには、4ヶ所のグラマー・スクール(高校)と多くの技術学校がある。小学校教育では、ラディスラフーアルヴァイ芸術基礎学校が重要な作用を果たしており、1927年に成立したこの学校は、スロバキアの同種の学校では最大級であり、その主要な課程は各種楽器、バレエ、舞踏などである。学生たちはしばしば各種のコンクールたとえばギター演奏、バイオリン演奏、アコーディオン演奏などで優秀な成績を挙げている。青少年たちはたくさんのクラブ活動センターが組織する各種活動に参加する機会があり、例えば体操、舞踏、楽団、自然歴史、旅行などにより自己の才能を高めることができる。サレジオ会では、児童と青少年がもに体育活動に参加する。ジリナはスロベキア・ボーイズスカウト活動の重要な中心で、全地区に合計500数名のこの青少年活動の永久会員がいる。ボーイズ・スカウトは市政府の大きな支持を得ており、区内に15の部室と一棟の建物を与えられている。

■文化

 ジリナ市立劇場では、マヤカ合唱団及びファトランカ楽団とロゼステック・アンサンブルが活動し、其の合唱水準はスロバキアの最高水準を代表する。これらの団体はしばしばジリナ市を代表して国内外の重要な芸術祭(マルタやブラジルなど)に参加する。ジリナ大学のスタフバ合唱団はもう一つの著名な合唱団である。ジリナ市は早くよりジリナ混合合唱団を設立し、当該団体はオーストリア、ウェールズ、スペイン、アイルランド、バチカンなど欧州の最も声望のある幾多の合唱芸術祭で大きな成功を収めてている。ジリナ市とスロベキアを代表する国立室内管弦楽団はほとんど全ての大陸に演奏に行っており、特にアメリカ、日本、ブラジル、その他多くの欧州の国で演奏を成功させている。彼らはしばしば国外の音楽家やジリナ混合合唱団と共演している。児童合唱団の演技も大変高い水準にある。ジリナにはたくさんのロックバンドが演奏し、そのうち最もよい成績を挙げたのはアヤとアルゼンである。民間と郷村音楽も大変活発である。ポバジェ美術館の主要な展覧は20世紀後半の絵画と芸術品で、3000余件の芸術品を所蔵している。当該美術館は主にジリナ本地とジリナ周辺地区から来た芸術家を対象にしており、ジリナ周辺から来た40数名の芸術家の展覧を行っている。もちろん国外から来た一部の芸術家の作品も館内に展覧されている。ブダティン城に設けられている、ポバジェ科学博物館にはジリナの歴史と考古学の展示品が展示されている。また参観者は溶接芸術家たちの独特な才能に引き付けられる。博物館では定期的に溶接芸術家の集会が挙行されている。ジリナと其の付近の村はこれらの溶接芸術家の揺籃で、19世紀末に最高峰に到達した。ジリナ地区の職人たちは欧州と海外で多くの製造企業を設立している。これらの金属芸術品とその他の材料との混合芸術品はジリナ市とジリナ地区の典型的記念品である。

 国内外で有名な人形劇場はスロベキアの同種の劇場の中でも最も歴史が古く専門的である。

 啓蒙センターでは各種の文化活動、展覧会、講演と演劇などの活動を組織している。

 ジリナ市とその他の機構は毎年6月に“古城芸術祭”を挙行し、ジリナと其の周辺地区から来た芸術家たちが集って演技をし、彼らの技術は幾つかの訓練学校の学生が伝えている。ほとんど全ての中小学生が参加できるジリナ市に関連したクイズ大会と文学コンクールがある。

 ジリナ文化の夏はジリナの伝統である。街頭音楽界では、非常に多くの合唱団が演技をする。

 身体障害者の青少年たちによる創造祭は定期的に9月初旬に挙行され、チェコ、デンマーク、ドイツなどその他の国家の児童青少年が一同にこの祭りに参加する。

 毎年四月に芸術宮で挙行される中欧音楽会芸術祭もまたジリナの伝統であり、欧州のたくさんの国家より来た若い音楽家が自己の才能を展示する。毎年秋季にジリナで挙行される国際テレビ・ビデオ・映像祭EKOTOPFILMでは人々の生活環境問題を主要なテーマとしている。

 ジリナ市はまたテルコバ村のヤノシク祭にも参加しており、この民間のお祭りは30数年続いており、スロベキアでは重要な意味があり、毎年8月の第一週に挙行されている。ホーリー街のマチカ宮ではマチカ・スロベンスカ文化科学協会の支局が一連の情報と教育活動を組織し、講演活動などを行い、スロベキア婦女連合会ジベナも各種の活動を組織している。

 過去には、多くの有名人がジリナで生活し仕事をしていたことがあり、例えば、画家Jozef Božetech Klemens (1817-1883), Ľudovít Fulla (1902-1980), Vincent Hložník (1919-1997), 文学者 Ján Palárik (1822-1870), Emo Bohúň (1899-1959), Ján Papp (1929-1998), Ján Frátrik (1916-2000), 製本芸術家 Ján Vrtílek (1906-2000). 現代文学者: Ján Lenčo (1933- ), 画家: Mojmír Vlkoláček (1915- ), Fero Kráľ (1919- ), 彫刻家: Ladislav Berák (1938- ), その他。ジリナ生まれあるいはジリナで活動した芸術家には シャンソン歌手 Hana Hegerová, オペラ歌手: František Livora, 作家: Ľubomír Feldek, 写真芸術家: Karol Kállay, 彫刻家: Vladimír Kompánek,歌手 Sisa Sklovskáなどがいる。

■旅行と体育

 ジリナは旅行者のために多くの便利な条件を提供しており、宿舎には都市内の数軒のホテル、モーテル及び付近にはキャンプ場も提供している。ジリナ市にはさまざまな旅行客の需要にこたえるために、たくさんの飲食を提供しており、ファストフードから中華レストランまでそろっている。しかし、ジリナ地区全体で典型的な食品は羊のバター炒めパスタと多種の羊乳製品である。

 ジリナ市の歩行区を歩くのは面白いことで、ここにはスロベキア最大の歩行区の一つがあり、当該地区は駅より始まり、ナロドナウリカ通りを経てアンドレイフリンカ広場に到着し、再度パリッシュステップから聖母マリア広場に至る、ボットバ街からルドビトスツール街とベルノラコヴァ街へ至る。都市の北部、都市中心から西北には、ドゥベン山を見ることができるが、其の海抜は613米である。毎年7月17日、つまりスロベキア共和国が独立を宣言した日に、キャンプファイアーを挙行して、スロベキアの独立を祝う。海抜769米のストラニク山頂では、二箇所のゲレンデがあり、ここではジャンプスキー大会を挙行するのに最高の条件を提供している。都市の西部には、海抜641米のベルケ・フラディスコ山がある。都市の郊外ではしばしばクロスカントリースキー大会が挙行される。ブダティンではモンタナ馬術クラブが馬上と馬術演習を提供している。現在、ジリナで最も成功している体育競技はバレーボール、バスケット、サッカーとボディビルディングである。