ミンスク市

時間: 2015-04-24 09:31 情報源: 新华网
【字の大きさ: さらに大きく 大きく 標準 印刷

ベラルーシ 

1992518

長春市とミンスク市が友好都市関係を締結

 

 

  

   

   

   

   

   

 

【市情紹介】

 

ミンスク市(Минск,Minsk)はヨーロッパの東部に位置しており、ベラルーシ共和国の首都と政治、経済、科学技術、文化中心、独連体本部の所在地であり、面積は409.5平方キロで、人口は198万人(2018年)で、ベラルーシ全国総人口の1 / 5を占めている。都市人口のほとんどはベラルーシ族に属している。また、ロシア族、ポーランド族、ウクライナ族、ユダヤ族などの少数民族もある。住民は主に東正教を信奉する。公式言語はベラルーシ語とロシア語である。

ミンスクに関する文字の記載は1067年から始まった。歴史の上で、ミンスク市は前後してリパロイツ公国、トウワン大公国、ポーランドのリトアニア王国、ロシア帝国とロシアのソビエ連邦社会主義共和国(ソビエト連邦)に属した。ソビエト連邦時代、ミンスク市はベラルーシソビエリ社会主義共和国の首都であった。ソビエト連邦が解体された後、ベラルーシ共和国の首都となっている。  

 

【資源と産業】

 

ミンスクはベラルーシの最大の交通と物流中心で、全国の40 %以上の外国貿易取引はここで行われ、主に機械設備、自動車、鉱製品、化学製品、食品などを輸出する。

ミンスク市は全国の工業中心で、その工業総生産値は全国の4分の1を占めており、主な業界は機械製造、金属加工、電力、食品などがある。

ミンスク市は全国の文化と科学の中心で、大学と科学研究院が林立しており、劇場、博物館、図書館、公園などの文化施設が都市部に広がっている。

ミンスク市の自然資源は比較的に不足で、ほとんどの原材料、特にエネルギーは、主にロシアとウクライナに依存して輸入する。

 

ミンスク市はヨーロッパの東部に位置し、ベラルーシ共和国の首都と政治、経済、科学と文化の中心、また独立国家共同体本部の所在地でもある。ミンスク市の面積は158.7平方キロ、人口は170万である。

 

歴史

 

 ミンスク市は今日までに935年の歴史がある。歴史書で最初にミンスクについて記載されたのは1067年である。14世紀初頭、ミンスクはリトアニア大公国に合併され、1793年にはロシアに合併され、ミンスク省の中心となった。191911日、ベラルーシソビエト社会主義共和国が成立し、ミンスクは共和国の首都となった。第二次大戦争期間中、ミンスクは1941628日、ドイツのファシストはミンスクと付近の地区で40余万人を殺害した。ミンスク市の80%の住宅とほぼ全ての工場、発電所、科学研究機構と劇場が破壊された。194473日、ソ連紅軍がミンスクを開放した。1946年から再建を開始した。19721月、ミンスクはソ連第11番目の人口が百万超の都市となった。ミンスク市はかつて二回レーニン勲章を獲得し、1974年に“英雄都市”称号を授与された。

 

文化、芸術、教育、科学

 

 文化生活は比較的豊かで、文化インフラ施設も比較的にそろっている。27の劇場、130の博物館、4800の図書館、4000ほどの文化館とクラブ、3000ほどの映画館と上映地、27の文化公園、二つのサーカス劇場がある。ミンスク市の科学発展には優れた伝統がある。1917年十月革命の後、ミンスク市の科学、教育の発展はスピードを加速した。1921年、ミンスク市は科学人員を育成する基地-ベラルーシ国立大学を創立し、1922年に共和国最初の科学技術の中心―ベラルーシ文化学院を創立した。1929年にはこの基礎上に、ベラルーシ科学院を創立した。ベラルーシの科学研究の中心として、ユーラシア大陸で有名である。そのほか、ミンスクはまた物理、数学、原子エネルギー、歴史と哲学などの100以上の研究機関、及びベラルーシ大学、工学院、国民経済学院、師範学院と医学学院などの14の高等学院、170以上の普通教育学校があり、ミンスクはさらに新しい技術工業園区を建設した。

 

主要産業

 ミンスクは旧ソ連の重要な工業の中心の一つで、今のベラルーシで最大の工業中心である。その工業生産額は全国の四分の一を占め、そのうち、毛織物は80%を占めている。ミンスクの機械製造と金属加工工業は非常に発達しており、その支柱産業は、主にトラック、トラクター、ハーベストコンバイン、オートバイと金属切削旋盤などを生産している。農業牧畜業機械は輸出外貨獲得の主要産品で、例えばミンスクトラクター工場で生産したモタス80形のトラクターは世界でも有名で、100以上の国家と地区に輸出している。ミンスクはまた旧ソ連四大旋盤の産地の一つで、産量は旧ソ連の25%前後を占めていた。ミンスクの科学工業も非常に発達しており、産量が比較的多いのは化学肥料、化学繊維の布とプラスチック、ラジオと電子工業、建築材料工業と採掘工業でも比較的に高い発展水準を具えている。

 

 ミンスク地区の地理環境は牧畜業の発展に適しており、旧ソ連の牛乳、油類、亜麻とジャガイモの主な産地の一つで、ジャガイモはミンスク人に“第二のパン”と呼ばれ、生産量も高い。ミンスクの自然資源は比較的に乏しく、大部分の原材料、特にエネルギーは主にロシアとウクライナから輸入している。当該市は積極的に世界各国、特に東ヨーロッパと西ヨーロッパ国家との経済関係を発展させており、主な貿易相手はロシアなど独立国家共同体の国のほかに、ボーランド、オーストリア、ドイツなど科学技術の発展した先進諸国もある。

 

旅行

 

 ミンスク市はシヴィスワチ河畔(べレジナ川の支流)に位置し、地形が比較的平坦で、間には丘陵と高地がある。ここは温和な大陸性気候に属し、ミンスクは緯度が比較的高いが、冬季は想像するほど寒くない。1月の平均温度は-5℃前後で、夏になっても熱くなく、7月の平均気温は18℃で、年降水量は500700ミリである。そのため、ミンスク市は居住適合都市として公認されている。ミンスクは二回レーニン勲章を受けたことがあり、1974年に“英雄都市”称号を授与された。

 

スカリーナ大通り(旧レーニン大通り)。

 

 ベラルーシが独立した後ベラルーシの有名な作家で詩人フランチェスカスカリーナの名前を取って命名され、総長11キロメートル、幅4870メートル、東北から西南までミンスクを横切り、ミンスク市の中軸線であり主要交通道路である。この通りはミンスク市のシヴァスワチ河川を横切り、市内各地区に連接する主な交通要路と交差している。街道沿いの建築の大部分が第二次世界大戦後に建て直したものである。大通りはいくつかの広場を経るが、その中には有名な勝利広場、独立広場(旧レーニン広場)、十月広場とヤクボ•カロス広場がある。

 

勝利広場。

 

 ミンスク市の中心に位置し、1947年に建設、長さ225メートル、幅175メートルである。広場には偉大な大祖国戦争で戦死した烈士の記念碑が立てられており、高さは40メートル。記念碑の底部の四面には大規模の金属レリーフが象嵌されており、ベラルーシ軍民の勇敢な抗戦の歴史を表している。記念碑の頂上には英雄都市を象徴する五つの星の勲章がある。記念碑の前には烈士の不朽の精神を表す聖火が明るく輝いている。広場の両側には旧ソ連12英雄都市の名前が整然と並んでいる。広場の地下は広い歩道で、歩道のセンターロビーの中には直径2メートルの琥珀の花束が建てられて、その中にはイルミネーション装置がある。照明が明るくなった時花束はごうごうと燃える火炎のように、往来の人々に勝利のため犠牲となった烈士を忘れないように訴えている。現在でも、勝利広場はベラルーシで盛大な記念活動を挙行する主な場所の一つになっている。“5.9”勝利の日、独立日など重大な祭日になると、ベラルーシではこの広場で盛大な献花儀式を挙行している。外国指導者が訪問した際も、通常みな烈士記念碑に花輪を捧げる。

 

聖霊主教大聖堂。

 

 ミンスクはギリシャ正教の主な活動中心で、1633年に建設を開始し、1642年に建設が完了したバロック建築スタイルの教会である。最初はカトリックの女子修道院の主な教会堂だった。1918年修道院は閉鎖されて聖霊大教堂の礼拝活動も禁止された。教会堂は消防隊の訓練地になり、後に書類保存館となった。1943年、教会堂はギリシャ正教の礼拝活動を回復し始め、所属の修道院も回復した。1947年、教会堂頂上にはギリシャ正教の十字架を置いた。20世紀50年代の上半期、教会堂内部に対して補修を行った。70年代末から80年代初め、教会堂に対して最終的な補修を施し現在まで保存されている。教会堂の中には宗教的な珍しい品物が奉納されており、たとえばミンスク聖母聖像などがある。

ベラルーシ共和国美術館。

 

 1939年に建てられ、前身はベラルーシ国立ギャラリーであった。1957年にベラルーシ共和国美術館と改名した。ベラルーシ造形芸術品の所蔵量が最大の博物館で、規模は独立共同体国家でもトップクラスである。第二次世界大戦以前の所蔵作品には主にベラルーシのミンスク、ヴィチェプスク、マヒリヒョウ州などの博物館で収集したベラルーシ聖像、1618世紀の木彫り、十月革命前の作品と一部のソ連芸術家の作品である。第二次世界大戦でドイツ軍が侵入した時、美術館は爆破され、大部分の館蔵芸術品がドイツファシストに略奪され、今に至るまで居所が明らかではない。その後、ベラルーシの芸術家であり収集家であるアラドヴァの努力を通じて再建された。現在、展示あるいは在庫の芸術品は25000件以上、中にはベラルーシ、ロシアとその他の国の芸術家の絵画、彫刻、実用装飾などの作品が含まれる。

 

★国立歌劇バレー大劇場。

 1933年に基礎が据えられ、1939年に落成し、収容可能人数1500人、其の中には1200人の中央観覧席と300人のボックス席(3階)がある。偉大な祖国防衛戦争の時、劇場はかなり大きく破壊され、1948年に修復された。1978年に再び内部装飾の改修が進められた。この劇場では主にクラシックバレーと歌劇が上演されている。

 

国際友好交流組織

 

1、ベラルーシ-中国経済貿易協力委員会(下では委員会と略称)は1992110日ベラルーシ共和国政府と中華人民共和国政府が署名した経済貿易協力協議によって1994916日に設立された。

 

2、ベラルーシ-中国経済貿易協力委員会ベラルーシ側成員

 

 ベラルーシ中国経済貿易協力委員会ベラルーシ側委員会成員:ベラルーシ中国経済貿易委員会ベラルーシ側主席ロマチゼノンクジミチ(国家監督委員会主席)、ベラルーシ中国経済貿易委員会ベラルーシ側副主席クビヤコフアンドレフラキミロビッチ(国務副総理)。委員会成員:ゲシェノクビクトーアナトリアビッチ(外交部副部長)、ザブクピーターコンスタンティノビッチ(経済部第一副部長)、ドフペニエツエドワルトペトロビッチ(エネルギー部第一副部長)、イヴァングレゴリオビッチ(商業部副部長)、スヴェジェルスキーゲンナキブラニスラヴォビッチ(工業部副部長)、ボロフスキーアレキサンダーワシリヤビッチ(ベラルーシ国家石油化学コンツェルン主席)、チェリエボクミハイルミハイロビッチ(ベラルーシ国家医薬微生物産品生産販売コンツェルン主席)。

 

3、ベラルーシ中国経済貿易協力委員会中国側主席

 

 ベラルーシ中国経済貿易協力委員会中国主席は中華人民共和国商務部部長于広洲(注:20061218日部長会議でNo.1678号公文書を通じて、ベラルーシ中国経済貿易協力委員会のメンバーを任命した。)

 

国際友好都市

 

              ミンスク市の国際友好都市

               20081月まで)

 

 

順番

国家

都市

締結期日

        1.

イギリス

ノッテインガム

1957

2.

日本

仙台

1973

3.

インド

バンガロール

1973

4.

フランス

リヨン

1976

5.

中国

長春

1992

6.

ポーランド

ウッチ

1992

7.

ドイツ

ボン

1993

8.

オランダ

アイントホーフェン

1994

9.

タジキスタン

ドゥシャンベ

1998

10.

モルドバ

キシナウ

2000

11.

キューバ(共)

ハバナ

2005

12.

イラン

テヘラン

2006

13.

アラブ首長国連邦

アブダビ

2007

14.

トルコ

アンカラ

2007

 

ロシア連邦内の友好都市(20081月まで)

1 ボルゴグラード

2 エカテリンブルグ

3 モスクワ

4 ムルマンスク

5、カザン

6、カリニングラード

7、クラスノダール

8、ニージニーノブゴロド

9、ノボシビルスク

10、サンクトベテルブルグ

11、チタ

12、トムスク

13、ヤロスラブリ

14、独立共同体の都市と地区:

カザフスタン—アスタナ、アルマアタ

アゼルバイジャン—バクー

キルギスタン—ビシュケク

タジキスタン—ドゥシャンベ

アルメニア—イェレバン

ウクライナ—キエフ、オデッサ