ウラン・ウデ市

時間: 2015-04-24 10:27 情報源: 新华网
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(ロシア)

2000927

長春市とウランウデ市が友好都市関係を締結

 

【市情紹介】

 

 ウランウデ市(Улан-Удэ,Ulam-Ude)は、ロシアブリアト自治共和国の首府であり、面積は35.13万平方キロで、都市部人口は43万人(2017年)で、傘下には21つの区、6つの市がある。地理的に、ウランウデ市は東シベリアに属しており、西にはバイカル湖(バイカル湖まで75キロが離れる)があり、南にはモンゴルに接している。境内の大部分は山地であり、盆地にもある。セレンガ川がここを流れる。ウランウデ市は、1666年に建てられ、鉄道の中枢として、イルクーツク、キャトく、(南はモンゴルのウランバートルに通じる)キャフタなどに通じる鉄道がある。

 

 ウランウデの歴史は、他のシベリアの古い都市の歴史と同じように、最初は草原の小田園、とりでから始まった。1666年に、ロシアのゴザック部族がウド河の河口に移住して、1690年にはショウウキンスク城と改名された。17世紀80年代、ショウウキンスク城は行政的にイルクーツク省に分かれた。ショウウキンスク城はロシアが中国、モンゴルに通じる「商貿の道」に位置するから、速いスピードでロシア東部の主要な商業貿易中心の一つになった。都市の工業発展は、敷設されたシベリア交通幹線と密接な関係があり、この交通幹線が二つの国を繋がられ、東から西まで13年間にかけた。1899815日、ショウウキンスク城で第一台の列車が開通され、シベリア交通幹線はウキスクを世界各国と繋がる。

 

 ウランウデ市では、ロシア人の割合が大きいが、自治共和国全体では、ブリアトは主要な民族である。ブリアト民族はこの地区の原住民で、彼らの歴史は我が国のモンゴル族と密接の関係があり、恐らく元王朝モンゴル族の後裔だろう。

 

【資源と産業】

 

 ウランウデ市の森林、水産及び鉱物資源が豊富である。主な鉱物は金、タングステン、モリブデン、ニッケル、アルミニウム、鉄、マンガンと石炭である。近くには大きな宝石鉱山がある。

主な産業は農業、林業、牧業と観光業である。農業生産は、肉乳牧畜業、ジャガイモ栽培業、野菜栽培業を中心としている。主要な工業企業には大型機車、車両修理、大型ガラス工場、飛行機メーカーがある。また、毛皮、建築材料、電子機器などの業界も発達している。

 

 ウランウデ市は文化観光名城の名誉を有している。ここでは、バイカル湖の美しい景色があるだけではなく、数え切れないぐらいの歴史文化景観も持っており、特に人文自然博物館は全ロシアでも有名である。交通が便利で、空港と国内外への直行便がある。

 

 ウランウデ市には、ロシア連邦科学院ブリアトキャンパスと4つの高等学校が設置されている。

 

歴史

 

 ウラン・ウデ市の歴史はほとんどその他の西シベリアの古い都市の歴史と同じく、最初の起源は草原上の小農村、城郭であった。1666年にロシアのコサック部落がウダ川河口に移り住み、1690年にベルフネウジンスクと改名した。17世紀80年代、ベルフネウジンスク市の行政上の区分はイルクーツク省となった。ベルフネウジンスクはロシアから中国・モンゴルへ向かう“商業貿易路”の有利な地理位置を占め、迅速に発展してロシア東部の主要商業貿易の中心の一つとなった。都市の工業発展とシベリア交通幹線敷設は密接な関係があり、この交通幹線と二つの国家を連結するため、東から西に至るまで13年を要した。1899815日ベルフネウジンスクに第一号の機関車が開通し、シベリア交通幹線はベルフネウジンスクと世界各国を相互に連結し始めた。

 

文化、教育、旅行

 

 ウラン・ウデ市は、ロシア人の比例が比較的多いが、自治共和国全体の内では、ブリヤート人が主要民族である。ブリヤート民族は本地区の古くからの主人で、彼らの歴史と中国モンゴル族の間には密接な関係があり、およそ元朝のモンゴル族の末裔に当たる。ブリヤートのある地区では、完全にモンゴル式の生活方式が残された村部落があり、現在では“民族文化村”として開放され人々の参観に供されている。中国人特にモンゴル族はこの部落で多くの相似た物を見つけることができる。ウラン・ウデ市の風貌は民族的特性に富み、ロシアのその他の都市文化とは異なる表現がある。歌舞伎院、劇場院、博物館等の建築、文化芸術はみなブリヤートの特色風情とロシアの風格を総合したものである。民族博物館はバイカル湖の東岸、湖辺から60キロに位置し、自動車で行くことができる。

 

 民族博物館は林の中の空地にあり、露天式である。館内には多くの東方遊牧民族の生活施設がある。エベンギ族の獣皮、樺皮のテント、ブリヤート民族の蒙古パオ、ロシア古ブリヤート民族の木製小屋、ならびに草棚、糧倉、風呂、鶏舎など。彼らはここに一世紀ほど留まっているので、雨よけ上、玄関の上、雨戸の上などに彩色絵や木彫があり、屋内門前の各種用具はみな強烈な民族風格を表現し、加えて居住民の特別風情のある民族服装、服飾、ストラップ、馬具の精美な俊馬、これら全てが大森林の梢の下で、一幅の綺麗な天然の風景画となっている。ウラン・ウデその他の旅行観光スポットはほかにもラマ教堂、自然博物館などがある。

 

 ウラン・ウデはバイカル湖の心と目を楽しませる湖と山の景色があるだけでなく、ほかにも無数の歴史文化景観があり、特に人文自然博物館は全ロシアでも有名で、交通は便利で、飛行場で国内外の航空路線が直通で結ばれ、文化旅行都市の誉れが高い。

 

 ウラン・ウデを南にいくと、アナコスタイ村とアルタイ村の間に、チガヤ川右岸にガルダヴォ崖岩洞があり、洞の中には大小二つの岩穴があり、洞壁と洞頂には紅色の赭石画とたくさんの新石器あるいは青銅時代の岩画がある。画面保存は比較的良好で、早期にコサックがこの洞に住んだとき、かがり火を焚いて一部の岩画を損壊してしまった。そのほかにも、岩画はイチェトイ川河口のサルバトーイ山洞穴、ブリヤート南部のウスチ・チャクト山洞穴などがある。

 

経済

 

 ウラン・ウデ市の資源は豊富で、80%の森林、水資源も豊富で、各種金属を産する:金、タングステン、モリブデン、ニッケル、アルミ、鉄、マンガン、石炭など、さらに付近には比較的大きな宝石鉱がある。主要な産業は農業、林業、牧畜業、旅行業を主とする。主要工業企業には大型機械車、車両修理、大型ガラス工場、飛行機製造工場がある。その他、毛皮、建築材料、電子設備など比較的発達している。農業生産の中では肉乳牧畜業、馬鈴薯栽培業、野菜栽培業などがある。家禽業はセレンガ川沿流域に比較的発達しているが、主要には牧畜業であり、羊牧と肉乳業である。当市にはロシア連邦科学院ブリヤート分院及び四ヶ所の大学がある。機械製造、船舶製造、飛行機製造、金属加工工業、さらに軽工業、食品、木材加工業および大型ガラス工場がある。交通は発達しており、通信は便利である。加えてバイカル湖に隣接しており、鉱産及び水資源は比較的豊富である。

 

国際友好都市

 

ウラン・ウデ市国際友好都市

 

 

序号

国家

都市

締結日付

1

モンゴル

エルデネト

1967

2

日本

留萌市

1972

3

中国

満州里

1993

4

韓国

安養

1997

5

中国

フフホト

2000

6

中国

長春

2000

7

モンゴル

ウランバートル

2002